初代アメリカ大統領はマデイラワインをこよなく愛したが、自分で醸造するほどのビール愛好家でもあった。しかしそれでもジョージ・ワシントンには物足りなかったようで、マウント・ヴァーノンにウィスキーの蒸留所を開いた。
1787年にワシントンと55人の仲間がパーティーを開いた時は合計約170リットルのアルコールを飲み干した。その内訳は赤ワイン60本、マデイラワイン54本、ポーター/スタウト22本、ビール12本で、シードルやパンチボウルももちろん含まれていた。
第2代大統領は大のハードサイダー(シードル)好きで「爽やかで健康に良い」と絶賛した。
しかしアダムスはたまに飲んでいた訳ではなく毎日朝食前にハードサイダーを飲んでいた!1777年にフィラデルフィアに旅行した際にこの大統領は妻に手紙を書き「君のサイダー1樽に3ギニーを差し出すよ…飲めるものが何もないし、これだけで病気になると思う」と嘆いた。
ジョン・アダムズはハーバード大学の友人ベンジャミン・ウォーターハウス博士に宛てた手紙の中でサイダーへの愛を記している。ある手紙の中でアダムスはハーバード大学の学生たちが健康なのは、牛肉や羊肉のパイと「サイダーをふんだんに飲み、ワインや強い蒸留酒は控えめにしているからだ」と述べている。
第8代アメリカ大統領も大の酒好きであった。酒好きが高じて 「ブルー・ウイスキー・ヴァン」というあだ名がついたほどだ。
しかしマーティン・ヴァン・ビューレンは酒に強く酔っている姿はほとんど見なかったという。アルコールに対する耐性が高かったにも関わらず、大統領は長年の大量飲酒のせいで後に痛風を発症した。
1840年の大統領選挙でヴァン・ビューレンが敗北した決定打は、ウィリアム・ヘンリー・ハリソン陣営が彼を酒浸りと中傷したことだった。
ウォーレン・G・ハーディングの大統領生活は決して順風満帆ではなかったが、酒のせいでもなかったとは言えない。禁酒法が施行されていたにも関わらずハーディングは飲酒を続け、ホワイトハウスでは客人にアルコールを振る舞った。
ハーディングとポーカー仲間だったアリス・ルーズベルト・ロングワースは「どんな噂も事実ほどではなかった…。思いつく限りのありとあらゆる銘柄のウイスキーのボトルを載せた台がそこら中にあった」と語っている。
機密扱いを解かれたFBIの報告書によるとこの大統領は1922年のストライキ交渉中に鉄道会社の幹部と大統領執務室で会談した際、ウイスキーで酔っ払った状態だったという。
トーマス・ジェファーソンはワイン愛飲家であり、コレクターでもあったがその大部分は飲んでしまっていた。
大統領在任中にトーマス・ジェファーソンは約2万本のワインを手に入れたとされている。大統領はモンティチェロの屋敷(写真)で色々なブドウの栽培を試みていたほどだ。
しかし建国の父は自分が大酒飲みだとは考えていなかった。「私が酒飲みだと決めつけないでくれ。私の適量は夕食時にグラス3、4杯でそれ以外の時には一滴も飲まず完全にシラフなのだ。しかしその3、4杯が私はとても好きなのだよ」と彼は語った。
ジェームズ・"Old Buck(ウィスキーの銘柄)"・ブキャナンはかなりの酒豪であった。友人であった新聞界の重鎮ジョン・フォーニーは「彼が飲んだマデイラワインやシェリー酒で1つ以上の古いワインセラーが埋まるほどだ」と語ったことがある。
ブキャナンはザルでよく飲んだ。フォルニーは、この大統領は何本ボトルを空けてもへべれけにはならなかったと続けた。晩年のジェームズ・ブキャナンは痛風と赤痢を患った。
ユリシーズ・S・グラントは酒好きが過ぎて1854年には軍を退役させられた。南北戦争中のグラントはアルコールとも闘っていたようだ。
グラントの伝記作家のジェフリー・ペレットは「部下全員はもちろん、グラントの師団長や軍団長の多くが、彼のアルコール問題について気づいていた」と解説している。
フランクリン・ピアースはパーティに明け暮れ酒に溺れた。彼は1840年代に一時的に禁酒運動に参加したが、大統領の座に就くと再び酒浸りとなった。
この大統領はアルコールの過剰摂取から神経痛と慢性胃炎を発症した。1869年にフランクリン・ピアースは肝硬変でこの世を去った。
グローバー・クリーブランドは2度も大統領に選ばれたが、生涯にわたってビールを愛した。クリーブランドは最初の地方検事選に出馬した際の選挙運動中、一晩にビールを3.78リットルも飲んだと言われている。
「Party Like a President: True Tales of Inebriation, Lechery and Mischief from the Oval Office」(2015年)の著者であるブライアン・エイブラムスは「時代が変わるにつれて彼のあだ名は「ビッグ・スティーブ」から「ジャンボおじさん」へと変わる。まるで次の世代がバーに通い始め、クリーブランドはもはや仲間ではなく酒場にいる年老いた賢者か何かになってしまったかのようだ」と言う。
ルーズベルトは過度の飲酒はしなかったとされているが毎日酒を飲んでいた。この大統領はカクテルの熱狂的なファンだった。
カクテル好きが高じてルーズベルトは「ハイチの酒」というオリジナルカクテルを考案した。ダークラム、オレンジジュース、卵白、黒糖で作られる。
第36代アメリカ大統領は酒と…運転が好きだった。ジョンソン政権に仕えたジョセフ・A・カリファノ・ジュニアは自著の中で、この大統領はスコッチとソーダの入ったカップをちびちびやりながらドライブに出かけるのが好きだったと書いている。
この大統領は牧場で他の人を乗せてドライブするのが好きだった。作家のブライアン・エイブラムスは「記者を乗せて牧場を周り、後続のシークレット・サービスの車に搭載された簡易スコッチバーにあるお代わりが必要になると、車を停めてプラスチックのカップを窓から差し出した」と明かしている。
ジョージ・W・ブッシュ大統領は長年にわたりアルコールと闘ってきた。元大統領は回顧録の中で当時を振り返っている。「自分には常習性があることは分かっている。酒を飲み過ぎていたし、それが問題を生みはじめてもいた」
ジョージ・W・ブッシュはウォール・ストリート・ジャーナルの記者を公衆の面前で侮辱したり、飲酒運転で逮捕されるなど数々の泥酔騒動を起こしている。
妻のローラ・ブッシュは1986年に夫が禁酒した経緯をオプラ・ウィンフリーに語った。「いつもと同じように泥酔してどんちゃん騒ぎをした週末だった。ジョージは目を覚ましてやめたいと決意したの」彼女は続けた。「そして彼は本当にやめることができた。大勢の人はできない。多くの人は禁酒するのに手助けが必要。彼はただ禁酒を実行したの」
提供元:(History) (Grunge) (ABC News) (Fox News) (HistoryNet) (Huff Post) (Historic America) (Thrillist) (Medium)
アルコールは何千年も前から存在しており、たまに飲むお酒は最高だ。実際は日常的に飲んでいる人も多いが飲む量を制限していることだろう。だが残念ながら誰もが飲酒をコントロールできるわけではなく、その中にはアメリカを率いた偉人たちも含まれている。まさにアメリカの酒の歴史は有名な大統領たちを中心に繰り広げられているのだ。
このギャラリーでは歴代アメリカ大統領の飲酒習慣に焦点を当てる。クリックして見てみよう。
歴代アメリカ大統領とアルコールの関係
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