地下壕つまり要塞化された防衛のための設備は世界中に存在し、ミサイル攻撃や空爆などの脅威から人々や価値ある財産を守る役割を担っている。こうした軍事設備の見ごたえある姿はさまざまな場所で目にすることができる。
例えばイスラエルには約150万個の地下壕がある。これらは強固な扉と空気システムを備えた頑丈な防護構造で、情勢が緊迫化し紛争が頻発する中イスラエル国民にとって極めて重要な安全シェルターとして機能している。
廃墟と化したままの地下壕もあれば、象徴的な建造物として保存されたり人気の観光スポットとして生まれ変わったりしているものもある。
ギャラリーをクリックして地下壕の謎に包まれた世界を覗いてみよう。
1951年に変更されたイスラエルの建築基準では、すべての新築住宅や事業所に避難室を設けることが義務付けられている。こうした部屋はロケットの攻撃や有害物質をともなう攻撃にも耐えられるように作られている。この避難室はイスラエルにおいて建物が設計される際の標準装備となっている。
カーシャーンの北側には1500年前のサーサーン朝の建築と技術の驚異であるOuyiが存在する。この地下都市は住民たちが望まぬ侵入者から逃れるための避難所として作られた。トンネルや部屋の一部は一般公開されている。
ビザンチン時代に建設されたデリンクユの見事な地下都市は20,000人もの人々を収容し、敵の襲撃を防ぐ要塞として機能していた。今日ではこの歴史的建造物の大部分は観光客でも見学することができる。
ニューヨークのセントラルパークで最も古い建物は19世紀初頭の米英戦争に遡るブロックハウスNo.1である。2階建ての地下壕で公園内の重要な史跡となっている。
18世紀後半からジブラルタルの岩には34マイル(55km)ものトンネルが掘られてきた。このトンネルは病院、兵舎、弾薬庫などさまざまな用途に使われてきた。大半は閉鎖されたが一部は一般公開されている。
「The Odeon」はチャンネル諸島を占領していたドイツ軍によって建てられた多くの壕の中でも、地元ではひときわ有名な要塞である。
第二次世界大戦中、ノルマンディーのこの岬は西のユタビーチと東のオマハビーチを結ぶ要所として重要な軍事的価値を持っていた。海岸沿いにはコンクリート製の壕や要塞が点在している。
この特徴的な地下壕はスペイン内戦中に国民軍によって建設された。
英国屈指の観光名所であるウェストミンスターにある秘密の地下壕は、当時の状態を維持するために入念に管理されている。
デンマークにある第二次世界大戦中のドイツ空軍司令部跡は4つの地下壕からなり、そのうち2つは博物館として公開されている。
ノルマンディー海岸沿いの地下壕はナチスの防衛要塞であった「大西洋の壁」を思い起こさせる。
フランスののどかな田園地帯の地下にある、Forteresse de Mimoyecquesとも呼ばれる大規模な地下壕群はナチスの殺傷力の高いV3号ロケットを隠すためのものだった。幸いなことにこの恐ろしい兵器は発射に失敗した。
廃墟となったこの第二次世界大戦時の地下壕はニュージャージーのビーチという珍しい場所にあるため、地元の名所となっている。
第二次世界大戦中にドイツ軍に占領された唯一のイギリス領であるこの島々には、ジャージー戦争トンネルのあるジャージー島が含まれる。トンネルは連合軍の空襲や砲撃に耐えられるように設計された。
ロシア皇帝時代にさかのぼる北方砦の地下トンネルと地下壕は見ごたえある要塞となっている。
モスクワの地下で発見されたバンカー42は1950年代のソ連の秘密地下壕で、今は冷戦博物館となっている。
冷戦時代に共産党の幹部たちのために建設されたリーガトネの地下核シェルターは30年間も人知れず存在していた。
1953年にユーゴスラビアの共産主義革命家であり政治指導者であったヨシップ・ブロズ・チトー(1892-1980)は山中に核シェルターの建設を命じた。現在は奇抜な現代アートの展示スペースとなっている。
共産党の独裁者エンヴェル・ホッジャ(1908-1985)もまた自身の政権下に数多くの地下壕の建設を命じた。現在では全国各地で老朽化した廃墟と化している。
ヨーク冷戦バンカーは1960年代初頭から90年代半ばまで使用され、核攻撃時に降り注ぐ放射性物質を監視する施設として機能していた。現在では人気の観光地となっている。
第二次世界大戦をはじまりとするスターリンの地下壕はロシアの独裁者の戦略計画の拠点として歴史上最も悲惨な戦いの数々を経験したもので、どれもが背筋が凍るような雰囲気を醸し出している。
ブダ城の丘の地下にあるHospital in the Rockはもともと第二次世界大戦中に病院として使われていた。その後の冷戦時代には核シェルターとして使用された。見学者は博物館でその壮絶な歴史を学ぶことができる。
The Hack Green Secret Nuclear Bunkerはかつて政府が所有していた地下司令部で、冷戦時代の秘密が50年の時を経て近年公開された。
スコットランドのSecret Bunkerは何の変哲もない農家の地下にあり、その広さはサッカーグラウンド2面分に相当する。この地域の有名観光地となっている。
静かな地域であるブレントウッドには長年にわたって冷戦時代の巨大な極秘地下壕が隠されていた。ツアーに参加すればこの謎めいた施設を探検しその秘められた歴史を知ることができる。
クチトンネルはベトナム戦争に参加したあらゆる党派の退役軍人と、物珍しさに訪れた観光客が一緒に探検することになる。通路と壕からなる広大な施設で、現在は市内にあるベトナム戦争記念公園の一部となっている。
ガイド付きツアーに参加すればヴィンモクトンネルを見学することもできる。
第二次世界大戦の最後の数週間、ヒトラーは負の歴史の象徴となった地下壕に逃げ込んだ。この写真には総統の書斎とされる部屋にいる米軍兵士が写っているが、まさにこの部屋で敗戦したドイツの独裁者と妻のエヴァ・ブラウンが最期を迎えたと考えられている。
地下壕の歴史とその役割
イスラエルには推定150万個の地下壕がある
トラベル 地下
地下壕つまり要塞化された防衛のための設備は世界中に存在し、ミサイル攻撃や空爆などの脅威から人々や価値ある財産を守る役割を担っている。こうした軍事設備の見ごたえある姿はさまざまな場所で目にすることができる。例えばイスラエルには約150万個の地下壕がある。これらは強固な扉と空気システムを備えた頑丈な防護構造で、情勢が緊迫化し紛争が頻発する中イスラエル国民にとって極めて重要な安全シェルターとして機能している。廃墟と化したままの地下壕もあれば、象徴的な建造物として保存されたり人気の観光スポットとして生まれ変わったりしているものもある。ギャラリーをクリックして地下壕の謎に包まれた世界を覗いてみよう。